3月11日を迎えて
4年前の今日は、金曜日。
その時を迎えたのは、ビッグサイトで開催されている展示会に向かうりんかい線の車中。
国際展示場のひとつ手前、東雲駅に到着するやいなやの14:46 に、M9.0 の揺れがやってきた。
激しく揺れる駅舎と電車。
おそらく今生きている人たちのほどんどが、経験したことのない地震。
他の災害との決定的な違いは、本当に「いきなり」やってくるところ。
多くの方々がいろいろな場所で、いろいろなシーンで、それぞれの被災体験をされただろうし、
その度合いはさまざまだとしても、それは個々の心に刻まれているはず。
自然災害の厄介なところは、「もう2度と起こりませんように!」と祈っても、必ずまた起きること。
必ず起きるのであれば、私たちにできることはただひとつ…
「その日のために備えること」しかない。
しかし、「その日」はいつやって来るかわからない。
起きる前に何ができるか? 何をしなければならないのか?
そして今日、あらためて考える。
私たちや私たちの仕事が、どんな役割を果たすことができるのか?
20年前、神戸に住んでいて阪神淡路大震災に遭遇した時のエピソード。
携帯電話も今ほど普及しておらず、まさに何が起きたかわからない真冬の未明。
液状化によってもうもうと立ち昇る水蒸気の中から、ケガをした人たちが集まってくる。
電気も水もガスも、ライフラインがすべて止まった状況下で、
それでも近所の小さなスーパーマーケットは、午後には店を開けた。
そしてその後、誰よりも早く神戸の地に乗り込んできたのは、当時ダイエーの社長だった故中内功さん。
ダイエーをはじめ、当時は傘下だったローソンにも店を開けよ! と号令。
売るものがなくても、灯りを点けろ! とおっしゃったとのこと。
「その日のために備えること」
これは決してハード面だけの話しではなく、
それぞれが「その日にできることをイメージすること」なのかもしれない。
そして今日は、「イメージしてみる日」 にしなければならないような気がする。
Nofuji.